ゲーマー視点に立とう
あなたはRPGゲームをやっている。
画面の中の主人公は紛れもなく自分だ。ゲームの内容は人生ゲーム。
ゲームの目的は画面の中の主人公を幸せにすること。
ゲームをクリアするために、どういうことが必用だろうか?
1.主人公に自分のキャラクターや才能を理解させること
2.主人公に人類の性質を学ばせること
3.主人公に地球、宇宙の法則(ルール)を学ばせること
4.主人公に学んだことを実践させること
要は、自分と環境(ゲーム設定)について、学び理解し実践することだ。
ただ、このゲームには落とし穴とか、難解さとかがあり、あっさりとは攻略できないようになっている。
一時的には幸せになれても、主人公が成長しないと、ゲームをクリアーできないようになっている。
しかもゲームには無限にレベルがあって、寿命が来るまでゲームは続く。
我が身を振り返ってみて欲しいが、自分のこと、人類のこと、地球・宇宙の法則のことをどれだけわかっているだろうか?
多くの人は、今まで生きてきた中で作られた自分に対する的外れな思い込みや、世間の常識に縛られていて、正しい認識ができていないのではないだろうか。
1.に、自分が何が好きで、何が得意で、何を大事に思っているのかを知ることから始めよう。
例えば自分は、集団より個人が好きで、DIYが得意で、自由を大事にしている。
それから、自分の能力とか体力とか性質はどうだろうか?
自分は能力・体力は人並みで一人でコツコツやる作業に向いている。
2.に、人類の性質はどうだろう。
・自分に合っていることで、難易度が丁度よいと、やる気がでて長続きするので結果が出やすい。
・自分を活かしたり、人の役に立つことで幸福感を感じる。
・人間は無意識の思い込みに従って考え行動するようにできている。
3.に、地球、宇宙の法則(ルール)はどうだろう。
・感じていることが現実化する(できると感じることはできる)。
・波長に合う物事に共鳴して、出会うようになっている。
4.に、いかに実践させるか。
・望む未来をイメージさせて、気持ちを高める。
・イヤになって挫折しないように無理させない。
・感情との付き合い方を学び、感情的にやりたくなるように仕向ける。
・楽しめる方法でやらせる。
・やり始めは難儀するが、習慣化すると楽にできるようになるので、習慣化するまで続けさせる。習慣化できない事は、向いてないから別な事をやってみる。
無為な時間の価値
どんな人でも、何もできない、何もする気がしない時があったりする。
そんな時は得てして、自分ってダメだななんて思ってしまいがちだ。
特に目的を持った向上心の高い人程、何もしない自分を責めてしまうだろう。
そんな時間を過ごすのを許してしまったら、目標達成が遠ざかると思ってしまうから。
でも、それまで頑張ってきたのだから、何もしない時間も必要なのだ。
眠らずに起き続けていることができないように、また、休まずに走り続けることができないように、
何もしない時間を取らずに、行動し続けることはできないのだ。
3年寝太郎の話を知っているだろうか?
昔、干ばつに苦しんでいた村に、何もせず働きもせずに3年も寝ていた寝太郎という男がいた。
その有様に村人たちも呆れ怒っていたが、ある日、寝太郎が突然起きだして山に登って巨石を動かした。その巨石が転がっていき川を堰き止め、川の水が田畑に流れて村が救われたという話である。
干ばつに苦しむ村を灌漑して救うことを、寝ながら考えていたわけだ。
3年も必要か?という突っ込みはさておいて、事を成すには長時間の何もしない無為な時間が必要ということだ。
考えるということも、うーんと唸って無理やり考え出すというようなものでは無く、ただリラックスしてひたすらヒラメキを待つようにして、思いついたのではないだろうか。
だから、何もする気がしない時は、無理してあがいたり、自分をダメな奴と責めたりしないで、ただリラックスしてヒラメキや元気が出るのを待つ方がいい。
その方が、結局早いし、いい結果につながるはずだ。
何もしない、頭が空っぽ、リラックスしかない空間にただ身をまかせよう!
こんな時間が過ごせる自分って、豊かで恵まれていると思えてくる。何もしないのにリッチな気分さえしてくる。
そうは言っても、怠け者とか人生の無駄とかと言う考えが湧いてきて、気を取られてしまうこともある。
でも、あなたは、働きアリの方がナマケモノよりも、優れていると断言できるだろうか?
どう生きていようが、それぞれ。 好きなようにしてくれればいいって感じじゃないか。
だから、堂々とリラックス100%で、リッチな気分を堪能しよう。
今は、そうすべき時なのだ。
無為な時間はやがて過ぎ去り、遅かれ早かれまた、バリバリ活動する時が来るのだから。
無為な時間をただ素通りさせるのは勿体ない。
無為な時間を深くリラックスして満喫できれば、ヒラメキと元気を得て、目標達成に拍車がかかることにもなるだろう。
リゾート地で仕事したい
人間はだれでも、何でもいろいろと思い通りにしたがるものだ。
思い通りにしたがるのはエゴの仕業だから、それには乗らない方が良い。
チャレンジしてみてもいいが、大半は思い通りにならずフラストレーションで人生を浪費してしまうことになりかねない。
でも、思い通りにならなくても(結果が得られなくても)、それをやる事自体が楽しいならいいんじゃないだろうか。
今、思い通りにしたいのは、リゾート地でリラックスしながら収入を得たいと思っている。
具体的に言うと、リゾート地でブログ等記事を書いて収入を得る仕事がしたいのだ。
リゾート地でも出来る仕事と言ったら、株とかFXのトレードを抜きにしたらそれしか思いつかない。
トレードでは、散々痛い目に合ってきたし、あくまで事業資金目的のためのもので、トレード自体にやりがいは抱けないから、選択肢からは外したい。
なんでリゾート地でも仕事をしたいと思ってしまうのか?
・リゾート地で遊んでいても家賃収入が入ってはくるが、それだけじゃ満足出来ない。
・リゾート地でも遊んでくつろぐだけじゃなく、生産的なこと、クリエイティブなことがしたい。
リゾート地に行ったら、何もかも忘れて遊んでいればいいと思うが、そういう過ごし方にやりがいを抱けねいのだ。
そう思うのは、自分が遊ぶのが下手だからなのだろう。
せっかく遠出してリゾートに来てるのなら、仕事なんかせずにそこでしか出来ない体験をやりまくったり、自分を解放して充電するのがいい過ごし方だと思う。
でも、リゾート地でいつもと違ういい気分で仕事もしてみたいのだ。
かといって、ネットビジネスに心得のあるブロガーなら、現実にリゾート地でも稼げるだろうが、ど素人の私ににはハードルが高い。
自分も最近ブログを始めたものの、カタルシス的な自分のシンドイ状況を吐き出すような内容に気付くとなってしまっている。
このままの自分本位な書き方じゃ、ブログを他者に読んでもらえないのをわかっているのに、疲れて改善する余力を持ててない。
それでも、ブログを書くこと自体には、思考を可視化・言語化することにやりがいを感じるので、地道にコツコツ続けていきたい。
地道にコツコツ続けていれば、ゆっくりでも多少は改善して、読者目線のブログを書けるようになっていくだろう。
まあ、結果が得られる(収入になる)程改善出来なくても、ブログを書くこと自体にやりがいが得られるのだから、今度リゾート地でブログを書いてみよう!
悟りと普通の人並みの生活
今日引いたカードは「AWARENESS(覚醒)」だ。
私の人生のテーマと言ってもいいキーワードだ。
大学生の頃から、覚醒(悟り)することをずーっと指向していた。
と言っても、インドに修行に行ったりするほどガチではない。
まあ甘いのだが、私としては目の前の現実社会を生きるために生まれてきて、その現実社会を生きるのが修行、と思っている。
ブッタのように、妻子を捨てて全てを修行に捧げる人生は望んでいない。
悟りを開きたいと言いながらも、そもそも、私の人生の優先順位が、
貧乏せず人並みの生活が送れること > 悟りを開くこと
となっているのかもしれない。
それでも、普通の生活を送りながら悟っている人も少なくないと思うし、修行三昧の
禅僧でも悟ってない人もいると思う。
そういうわけで、社会の荒波に揉まれながら、プライベートの時間は精神世界の本を読んで瞑想しながら、覚醒(悟り)を探求してきたのであった。
長年の覚醒(悟り)の探求にも関わらず、覚醒(悟り)に至らず、現象世界で今だにあくせくしているわけだが、若干の手応えと言うか一瞥体験は何度かあった。
しかし一瞥は一瞥でしかなく、結局3次元の生活に追われるような人生は相変わらずだ。
人並みの生活を求めるから、つまり普通でいようとするから、会社にしがみついてマインドが汲々として悟りを妨げているのかもしれない。
私の場合、会社にいると追い詰められ感があって異常な疲労感を感じてしまい、泥沼でもがくように仕事をしている状態だから、会社にいる時間が長くなればなるほど、悟りから遠ざかるような気もしている。
かといって脱サラしても、自力で稼ぐのに汲々とするイメージが浮かんでしまう。
フリーランスも楽じゃないだろうが、苦労も楽しんでスイスイとやれるイメージがあれば脱サラする決心できるのだが、そこまでには至っていない。
そこに至るために、イメージ(思考実験)してみよう!
しばらくは不動産収入もあるから最低限の生活は困らないものの、会社の収入がまるまる無くなるわけだから、心もとなくなるなるだろう。
でも、自由な時間がたっぷりできて縛るものは何も無くなる。私の不動産賃貸会社は一人会社で社員もいないから、どう過ごそうと思うがままだ。
完全に自分次第だ。まさに自己責任、自分との闘いだ。
ネットビジネスで時間と場所に縛られずに収入を得ることができたら最高だし、自分もそうなりたい
しかし、サラリーマン中に何の結果も出せないのに、会社を辞めて自由な時間があるからと言って、稼げるようになるだろうか?
脱サラして会社から解放されたら、心が健康になって悟りに近づける予感もある。
健康な心、つまり覚醒しつつある心があれば、価値ある情報発信ができるのではないだろうか。
ネットビジネスで実際に稼いでいる人は、詐欺的手法は論外として、例外なく価値ある情報発信をしている。
ネットビジネスでやっていけるかどうかは、勇気と適正の問題もあると思う。
人にどう思われようと、自分が価値あると思った情報発信をしていくという勇気。
ネットビジネスの世界が自分にあっているかという適正。
結論。
心が不健康なサラリーマン中にネット上で少しでも結果を出せれば、脱サラし覚醒しながらネットビジネスでやっていける。
シンドイのにハマってしまうセルフリフォーム
この3連休は、先日決済したばかりの築古戸建てを絶賛セルフリフォーム中だ。
築古戸建てを購入してから2、3カ月間の土日祝日は全て、築古戸建てを貸せる状態にするための、セルフリフォームに費やされてしまう。
そのままでは古くてボロく、貸借人が付かないからリフォームは必須だ。
しかし、全て業者さんにやってもらうと、経費オーバーで採算が合わなくなってしまうため、自分で労働力を投入するのだ。
この期間は、日中は家族サービスもおあずけとなってしまい、家族には申し訳ないが、まあ2,3カ月ぐらいは辛抱してもらおう。たまに夕方に外食連れていったりぐらいはしてあげられるし。
平日はサラリーマン、土日祝はリフォームマン、休めないので心身が悲鳴を上げている。
こういうことを10年近く前から、トータルで十数件やっている。
年に多くても2件程度のペースだから、頻度的には大したことはない。
資金と採算が合う物件さえあれば、もっと頻度を増やしたい。
頻度が増えれば、物件が増えキャッシュフローが増え、脱サラできる日が近づいてくる。
ただ、頻度が増えれば過労で病んでしまうかもしれない。
たから、サラリーマンのうちはリフォームの必用のない築浅物件がいいのだが、築浅で利回りのいい物件はまずない。
築浅では採算が合う程度の利回りのものもほとんど無く、損するような利回りの物件ばかりだ。
それで、必然的に築古をセルフリフォームする投資手法になってしまう。
このセルフリフォームは結構な時間と労力が要求される。
昭和の物件でほとんどの部屋が畳の和室だから、和室→洋室へのリフォームが基本となる。
畳→フローリングについては、セルフリフォームでも出来ないことはないが、仕上がりと効率重視で大工さんにやってもらっている。
壁紙と天井のペンキ塗りがセルフリフォームとなる。
そのほか、キッチン・トイレ・脱衣所のクッションフロア貼り、流し台のカッティングシート貼り等が、基本的な仕事だ。
あとは物件次第でいろんな作業がある。
前回は、障子がボロすぎたので撤去してガラスサッシ・プラ段サッシ取付とか、駐車場が狭いので、庭木を撤去して土間コンクリート打ちもやった。
平屋だと、屋根のペンキ塗りもやった。
今回は家の前の、側溝フタが粉々になっていたので、ホームセンターで購入して交換を行った。
1枚30kgもあって運ぶのが大変だったが、工夫して3枚で済んだ。
あとは、照明交換とか取手交換とかコンセントカバー交換とか、ハウスクリーニングとか、、、細々したことが多々ある。
内見で好印象を与えることや、実際に住んで快適に過ごすことを考えると、直すべき部分がいろいろと出てきて、膨大な作業量になってくる。
それでも、しんどくても頑張れるのは、DIYに没頭できるから、仕上げて入居してもらえればキャッシュフローが増えるから、住宅を提供することにやりがいを感じるからだ。
会社はいずれ辞めるが、この仕事はずーっと続けると思う。
今後もずーっと賃貸住宅需要は有り続け、収支の合う中古物件の供給も有り続けるだろうから。
あなたの仕事は咲くことだけ
今日引いたカードは、「FLOWERING(開花)」だ。
見覚えがるカードと思ったら、7月10日に続いて2回目の登場だ。
花の仕事は咲くことだ。まあ正確に言えば花粉を作ったり、受粉したりもあるけど、咲くことにそれらも含めることにしておこう。
人間が花に咲くことを望むように、神も人間に咲くことを望んでいると思う。
でも、人間が見ようと見まいと、そんなことに関係無く花は勝手に咲く。
人間も見られようと見られまいと、勝手に花を咲かせればいいのだ。
しかしただ、生活に追われて汲々として苦しく、花咲くどころじゃない人はどうすればいいだろうか?
まず、今の生活を送っていたら自分が枯れちゃうと思うのなら、人生を変えなきゃならない。
どう変えれば、「枯れる ⇒ 花咲く」にしていけるのか、本気で考えてみるべきだ。
例えば、今の仕事に興味を持てずやらされ感で消耗しているなら、興味を持てることを探して、最初からは稼げなくても趣味的に初めて副業に繋げていくことを考える。
何年かかろうと、今のままに甘んじて枯れていくよりいい。
花が咲くことはエクスタシーだから、今やっていることが苦手で苦痛にしか思えないことなら、方向性を疑ってみた方がいい。
もちろん快楽ばかりではなく、苦しいことも実際多いが、本当に進むべき道ならば、
産みの苦しみに喜びが入り混じっているような感覚で、乗り越えた先に喜びがあることが、自分でもわかるはずだ。
何かを乗り越えたことによって、視界が開けてきて、ハードモードからイージーモードになったように感じられたことはないだろうか?
例えば、スポーツや格闘技等で、考えなくても手に取るように、相手の動きがわかるようになったり、仕事の勘所が一目見てわかるようになったり、とか。
コツコツと続けてきて、強敵に打ち勝ったり、大きな仕事をこなしたりすると、レベルアップして次元がシフトしたように感じられる。
まさに開花だ。
だから、やっていて多少でもエクスタシーの瞬間が得られるなら、苦しくても諦めずコツコツ続けて苦難を乗り越えていこう。
やり続けていれば、すこしずつでも進歩するものだから、何かが変わる瞬間が必ずやってくる。
焦って結果が出ないからとすぐ諦めてはイケナイ。
花も一日では咲かない。数か月かけて力を蓄えて時期が来てやっと咲くのだ。
結果を期待するのではなく、今取り組むことを楽しみ、咲
けるだけの力を蓄えることに専念しよう!
アウトプットが成長を促す
小中学生の頃は作文が大の苦手だった。もちろん、感想文や日記もそう。
作文の時間はいつも、固まっていた。
勉強はできた方なので、読解力や理解力はあったはずだが、表現力が無く書こうとしても全然言葉が出て来なかった。
考えていることや、感じていることが自分でもわかっていなかった。
なんとか、書き上げるのだが、しっくり来なくて作文は好きになれなかった。
また、私が子供の頃は対人緊張が強く人前に出るのがイヤで、自分を出すことに過度の恐怖心があったから、ちょっとしたことで、パニくって頭が真っ白になるタイプであった。
だから、作文等で表現することにブロック(抵抗)があったのだと思う。
それでも、勉強は好きな方だったので、支障なく小中高と過ごしてきたのだが、大学の論文ではちょっと苦戦した。
社会人になっても、自己表現を求められる機会はほとんど無かったから、半世紀近くもアウトプットが苦手なまま生きて来てしまった。
遅まきながら今、中年になって、アウトプットできる人間になることを目指している。
なぜ、アウトプットが苦手なのに、今取り組んでいるのか?
それは、アウトプット=表現をしないと本心を理解してリアルに生きられないから。
自分で考えて本心で生きているつもりでいるが、実際は惰性で過ごしているだけだったりする。
アウトプットしないでいると、考えが深まることがなく、過去の延長線上を進むだけのような人生になっていくと思う。
例えば、本を読んで理解したつもりでも、内容を直ぐ忘れてしまい、何も人生が変わらないことが大半だが、その理由は本の知識が意識の表面をただ素通りしていくだけで、自分のものになっていないからだと思う。
自分のものになっている知識、つまり自分の言葉で書ける、話せるような知識だけが人生で活かせる。
アウトプットするためには、知識を自分の言葉で表現しなければならないから、アウトプットすることで、知識を自分のものにしやすくなる。
そう、知識を血肉化して人生で活かすためにアウトプットするのだ。
思うに日本の学校教育は、テストでいい点数を取る事ばかりを重要視するが、もっと作文や弁論等のアウトプットを重要視してほしかった。
素直な私は、学校の教育に逆らわないまま適応してしまい、特に中学時代は点取り虫と化してしまった。
理解力と暗記力さえあれば、テストでいい点は取れるが、理解力と暗記力だけでは、人生を切り開いていく力にならない。
奴隷とか兵士のような将棋の駒としては、優秀になれるかもしれないが、、、
もともと学校教育は、そういう人を作るためのものだから、まあしかたない。
アウトプットするには、自分で考える力が求められるから、自分で望みを叶えていく力、つまり幸せに生きる力が得られてくる。
下手っぴでも、今生でものにならなくても、来生で活かすつもりでコツコツとアウトプットをし続けよう!