アウトプットが成長を促す
小中学生の頃は作文が大の苦手だった。もちろん、感想文や日記もそう。
作文の時間はいつも、固まっていた。
勉強はできた方なので、読解力や理解力はあったはずだが、表現力が無く書こうとしても全然言葉が出て来なかった。
考えていることや、感じていることが自分でもわかっていなかった。
なんとか、書き上げるのだが、しっくり来なくて作文は好きになれなかった。
また、私が子供の頃は対人緊張が強く人前に出るのがイヤで、自分を出すことに過度の恐怖心があったから、ちょっとしたことで、パニくって頭が真っ白になるタイプであった。
だから、作文等で表現することにブロック(抵抗)があったのだと思う。
それでも、勉強は好きな方だったので、支障なく小中高と過ごしてきたのだが、大学の論文ではちょっと苦戦した。
社会人になっても、自己表現を求められる機会はほとんど無かったから、半世紀近くもアウトプットが苦手なまま生きて来てしまった。
遅まきながら今、中年になって、アウトプットできる人間になることを目指している。
なぜ、アウトプットが苦手なのに、今取り組んでいるのか?
それは、アウトプット=表現をしないと本心を理解してリアルに生きられないから。
自分で考えて本心で生きているつもりでいるが、実際は惰性で過ごしているだけだったりする。
アウトプットしないでいると、考えが深まることがなく、過去の延長線上を進むだけのような人生になっていくと思う。
例えば、本を読んで理解したつもりでも、内容を直ぐ忘れてしまい、何も人生が変わらないことが大半だが、その理由は本の知識が意識の表面をただ素通りしていくだけで、自分のものになっていないからだと思う。
自分のものになっている知識、つまり自分の言葉で書ける、話せるような知識だけが人生で活かせる。
アウトプットするためには、知識を自分の言葉で表現しなければならないから、アウトプットすることで、知識を自分のものにしやすくなる。
そう、知識を血肉化して人生で活かすためにアウトプットするのだ。
思うに日本の学校教育は、テストでいい点数を取る事ばかりを重要視するが、もっと作文や弁論等のアウトプットを重要視してほしかった。
素直な私は、学校の教育に逆らわないまま適応してしまい、特に中学時代は点取り虫と化してしまった。
理解力と暗記力さえあれば、テストでいい点は取れるが、理解力と暗記力だけでは、人生を切り開いていく力にならない。
奴隷とか兵士のような将棋の駒としては、優秀になれるかもしれないが、、、
もともと学校教育は、そういう人を作るためのものだから、まあしかたない。
アウトプットするには、自分で考える力が求められるから、自分で望みを叶えていく力、つまり幸せに生きる力が得られてくる。
下手っぴでも、今生でものにならなくても、来生で活かすつもりでコツコツとアウトプットをし続けよう!